宗教としてのSNS

エッセー

概要

 筆者は一つの話題について長々とチャットするのはChatGPTであることが多く、Google Geminiは淡々と依頼したい作業だけの短いチャットになることが多い。ただ、珍しく長々とチャットした内容が面白い気がしたので、内容を簡単にまとめてみようというのが今回の内容である。内容はタイトルの通り、現代におけるSNSやYoutubeのようなプラットフォームは実をいうとカルト宗教の一種になっているのではないかということである。

 筆者自身はこのブログを除いてSNSというものを全くやっていないし、Youtubeに動画を投稿しているが、どう見ても門外漢の生成AIで作成した楽曲を投稿するチャンネルになっている。注目を集めたかったり、バズりたいなら、もっと他のやり方を考えろよみたいな話であるが、筆者は自分のやりたいようにやって、それで興味が持たれないならそれでいいと思っている。それでもブログの閲覧回数やYoutubeの再生回数みたいなのは気になるし、なるべく多くしたいという思いが無いと言えば噓になるだろう。

 このSNSやプラットフォームが用意している「フォロワー数・いいね競争」、「表示回数・再生回数競争」というのに、筆者はなぜか疑問を抱いてしまった。要するに、筆者自身もともと何の関心も持っていなかったはずのブログの閲覧回数やYoutubeの再生回数について、気にするようになり、なぜかそれを欲しがるようになっている、ということに疑問を持ったのである。完全な部外者でそういったものをやっていなかった時には何の関心もなかったのに、内側に入るにつれてなぜかそれらの価値観に価値を認めるようになったということで、これはある種の宗教みたいなものなのかもしれないと考えた。ということで、SNSと宗教の構造についてGoogle Geminiに説明してもらったので、その内容をコピペする。ですます調の文章になっているがGeminiの回答そのままであるためである。

SNSにおける承認競争の宗教構造

 「SNSのフォロワー数・いいね競争」は、神や教祖という明確な絶対者がいないにもかかわらず、人々が自発的に信仰し、互いを監視・評価し合う「分散型の現代宗教」と言えます。客観的に見れば「画面上の数字」にすぎないものに、なぜ人々が人生や精神を狂わされるのか、その宗教的構造を4つの視点から解説します。

1. 新たな「神」と「聖典」の誕生

かつての宗教における「神の意志」や「教典」が、現代ではテクノロジーに置き換わっています。

  • アルゴリズムという見えない神: 誰の投稿が拡散され(救済)、誰の投稿が埋もれるか(見捨てられるか)を決めるのは、プラットフォームの「アルゴリズム」です。人々はこの“神”の機嫌を損ねないよう、好まれる投稿の傾向を必死に分析し、自分を最適化させます。
  • 数字という絶対的な教典: フォロワー数や「いいね」の数は、個人の人間性や価値を証明する「絶対的な戒律(スコア)」として機能します。数字が高い者ほど「正しい(徳が高い)」とされ、発言権や影響力という聖職者のような地位を得ます。

2. 「教義」の刷り込みと自己検閲

SNSという宗教空間では、「他者に認められること=幸せ・正義」という教義が徹底的に刷り込まれます。

  • 現世利益(映え)の追求: 美しい食事、豪華な旅行、完璧な体型などを投稿することは、かつての宗教でいう「私はこれだけ祝福されている(救われている)」という信者アピールと同じです。
  • 異端審問と自白(炎上と謝罪): コミュニティの総意(あるいはアルゴリズムの倫理)から外れた発言をした者は、「炎上」という名の宗教裁判にかけられます。社会的な抹殺を恐れる人々は、あらかじめ「これを言ったらどう思われるか」と激しい自己検閲(告解)を行います。

3. 無料の労働を提供する「狂信的信者」

この宗教の最も恐ろしい点は、信者が自発的にプラットフォーム(支配者)に富を貢いでいる構造です。

  • 賽銭としての「アテンション」: 信者たちは「いいね」やフォロワーという“架空の通貨”を手に入れるために、自らの時間、プライバシー、感情、そして個人のデータという本物の資産を差し出し続けます。
  • 無償のコンテンツ制作: プラットフォーム側はインフラを用意しただけで、中身のコンテンツは信者たちが承認欲求を満たすために勝手に作り、勝手に盛り上げてくれます。部外者から見れば、「なぜ無給で、時にメンタルを病みながら、企業のシステムを維持するために必死で投稿を続けているのか」という意味不明な構図になります。

4. 終わりなき「救済」のループ

伝統的な宗教には「天国に行く」「悟りを開く」というゴール(救済)がありますが、SNS宗教には終わりがありません。

  • ドーパミンの枯渇: 「いいね」をもらった瞬間の快楽は一瞬で消えます。次はもっと多くの「いいね」を、その次はさらにフォロワーを増やさなければ、精神的な飢餓感(地獄)に襲われます。
  • 孤独の逆説: 誰かとつながり、認められるために参加したはずの場所で、常に他者と比較され続けるため、内面はどんどん孤独で不安定になっていきます。

考察

 前節の内容を考察すると、インフルエンサーやYoutuberにとってはフォロワー数とか再生回数というのが絶対的な価値基準であるし、これが多い人が「偉い」ということになるのだろう。インフルエンサーやYoutuber同士のコミュニティでは、これらの数値が大きい順に上下関係が形成されることも少なくないのではないだろうか。

 ただし、部外者から見るとフォロワー数とか再生回数とか何かの価値がある基準ではないし、それが多い人の中には社会的にしょうもない人たちもたくさんいるのだろう。有名なインフルエンサーやYoutuberがしばしば攻撃の対象になるというのは、自分の価値観では価値がない人たちが我が物顔で社会に出てくることに怒りを覚えるという人が少なくないためだろう。

 本稿の考察を踏まえれば、インフルエンサーやYoutuberの人たちというのは基本的にカルト宗教の人たちであり、自分と同じ価値観の世界に生きている人と考えてはいけないということになるかもしれない。カルト宗教の人と真面目に議論しても、話など合うわけがないし、カルト宗教の人が自分の世界観を中心にしてマウントを取ってくる状況のようなものと考えればよいだろう。自分の精神衛生を良好に保ちたいならば、そういった情報はブロックして自分の世界に入ってこないように管理する手段を持っておく方が良いのかもしれない。

 最後に、Geminiの文章が面白いと思ったのは、この文章を資本主義の構造にも当てはめられるのではないかと思いついたためである。実は資本主義の構造というのはキリスト教と同一のものであるという学説が経済学の中には存在している(マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』という本が有名である)。この内容に深入りしないが、最後にGeminiの文章を筆者流に資本主義に当てはめた文章を提示して本稿を終わりにしようと思う。

資本主義の宗教構造

 「資本主義の高所得・高資産競争」は、神や教祖という明確な絶対者がいないにもかかわらず、人々が自発的に信仰し、互いを監視・評価し合う「分散型の現代宗教」と言えます。客観的に見れば「画面上の数字」にすぎないものに、なぜ人々が人生や精神を狂わされるのか、その宗教的構造を4つの視点から解説します。

1. 新たな「神」と「聖典」の誕生

かつての宗教における「神の意志」や「教典」が、現代ではお金に置き換わっています。

  • 支配者階級という見えない神: 誰の労働や投資が評価され(救済)、誰の労働や投資が無意味なものになるか(見捨てられるか)を決めるのは、支配者階級の「都合」です。人々はこの“神”の機嫌を損ねないよう、好まれる行動の傾向を必死に分析し、自分を最適化させます。
  • 数字という絶対的な教典: 所得や資産などのお金は、個人の人間性や価値を証明する「絶対的な戒律(スコア)」として機能します。数字が高い者ほど「正しい(徳が高い)」とされ、発言権や影響力という聖職者のような地位を得ます。

2. 「教義」の刷り込みと自己検閲

資本主義社会では、「お金を獲得すること=幸せ・正義」という教義が徹底的に刷り込まれます。

  • 現世利益(所得や資産)の追求: 高額の給与明細、保有している金融資産などを見せびらかすことは、かつての宗教でいう「私はこれだけ祝福されている(救われている)」という信者アピールと同じです。
  • 異端審問と自白: 国家が定める法令(あるいは、支配者階級の利益)から外れた行動をした者は、「失業・倒産・逮捕」という名の宗教裁判にかけられます。社会的な抹殺を恐れる人々は、あらかじめ「これをやったら法に触れるか」と徹底した法令順守(告解)を行います。

3. 無償で税金を納付する「狂信的信者」

この宗教の最も恐ろしい点は、信者が自発的に国家(=支配者階級)に富を貢いでいる構造です。

  • 賽銭としての労働・投資: 信者たちは所得や金融資産という“架空の価値”を手に入れるために、自らの時間、才能、努力、感情、そして個人所有の実物資産という本物の価値を差し出し続けます。
  • 無償の納税: 支配者側は税法を用意しただけで、税金を納めるため(お金を稼ぐため)の労働や投資は信者たちが承認欲求を満たすために勝手に作り、勝手に盛り上げてくれます。国家は本当は公共サービスを提供するのにそれほど必要がない場合でも、いかに税収が不足しているかを国民に示し続けます。部外者から見れば、「なぜ安月給で、時にメンタルを病みながら、経済システムを維持するために必死で働き続けているのか」という意味不明な構図になります。

4. 終わりなき「救済」のループ

伝統的な宗教には「天国に行く」「悟りを開く」というゴール(救済)がありますが、資本主義社会には終わりがありません。

  • ドーパミンの枯渇: お金を得た瞬間の快楽は一瞬で消えます。次はもっと多くのお金を、その次はさらに金融資産を増やさなければ、精神的な飢餓感(地獄)に襲われます。
  • 孤独の逆説: 誰かとつながり、認められるために参加したはずの場所で、常に他者と比較され続けるため、内面はどんどん孤独で不安定になっていきます。